「エロをもっとオープンに」という人への苦言
こんにちは、管理人Wです。
今日のテーマはみんな大好き「エロ」です。
性にオープンな欧米諸国と比較して、日本では性は「秘め事」として扱われがちな分野です。
「もっとエロをオープンに!」という主張をする人が増加しています。
最近見たブログではこれとか
ですが、管理人はこの「エロのオープン化」に対しては強く苦言を呈したいと思っています。
ズバリ、
エロは、オープンでないからこそ、エロなのだ
ということです。
私たちがエロいものに興奮する理由は、それが普段隠されているものであり、幾多の困難を乗り越えた先にやっと出会うことができるものであるからに違いありません。
「おっぱい」という存在がエロいのは、普段は何枚もの衣服やブラジャーという鎧で堅牢に守られているものが、自分に恋心を抱かせるなどのミッションをクリアした後に、自分だけの目の前に姿を見せてくれる存在だからです。
つまり我々は「おっぱい」そのものに興奮しているわけではなく、「(普段は隠されて見えない)おっぱい」に興奮しているのです。
そのおっぱいがオープンになった時点で、それはただの生物的ふくらみ、または、乳児に食事を与えるもの、となり、我々は興奮することはなくなるでしょう。
これが「エロは、オープンでないからこそ、エロなのだ」という言葉の意味であり、
エロはオープンでなくなった時点でエロではなくなってしまうのです。
「エロのオープン化」と「性に積極的であること」は、言葉は似ていますが全くの別物として理解すべき意識です。
極端な話、「エロのオープン化」が過剰に進めば、日本の恋愛率、結婚率はさらに低下し、少子化を加速させることになりかねません。
性教育の遅れやセックスレスの問題はたしかに重要な課題ですが、それはそれで考えるべき問題。
「エロのオープン化」を強く推進することは結果として「エロ」そのものの存在意義を失わせることになるのです。
それでは。